20140607歌論について

土曜日, 6月 7th, 2014

現時点(2014年6月7日時点)での歌論について
以下のように考えている。詩作は歌作(なんということばが無いだろうから)のこと。

【心】
まず「ポエジー」を知覚できる詩作がよい詩作である。
ポエジーは目に見えない観念的・意識的な美である。

○ファノポエイア
すべての存在は何らかの美がある。普段は気づかないが、ある時、
ある瞬間に意識に現れる。それをエピファニーと言う。外に出て徘徊し
ているときに現れることが多い。
エピファニーを理解できる形で再現できると、詩作上にポエジーを知覚
する場合がある。

叙述せずに多くを叙述するため、すべての人にとって
感慨深い「季」・「恋」の単語、句を配合する。=自然主義に基づく

【詞】
○メロポエイア
リズムにポエジーが宿りやすい。
リズムとして、主に57577の短歌形式の詩作を採用する

○ロゴポエイア
観念的な詞として、中古に確立した古典文法を採用する。
しかしながら、古文、文語を不要のものとする2014年現在では古典文法
を使うこと自体が“俳諧=滑稽=お笑い”にならざるをえない。結果的に俳諧歌となる。
表現としては、写実主義・現実主義・自然主義(季・恋)をふまえた上
で超自然主義を指向する。自然をふまえて自然を超える。
リアリズムとして、人造言語を廃し、用法に典拠のある詞を使う。

<メモ>
何かしらの調和がないと
ポエジー=永遠性の手がかりとして古典に習う
永遠性の手がかりで、日常物を知覚したとき、
なんでもないものに「桜」=ポエジーを知覚する
時間表現による無時間性

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